本日 桂彫金塾です
今日は桂彫金塾の日です。
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今日は桂彫金塾の日です。
通称 かぎこう。の、科学技術学園高等学校。
ある日、お電話があって高校生が体験でモノづくりをしたいとのこと。初めは希望者が5人程度だったのが日に日に人数が増えて行き、最終的には会社の留守電で14名プラス引率の先生お二人となっていて 今は0歳児には慣れていても14歳~15歳の男の子にはどう接していいか 不安なままでした。というのも、以前に職人の取材、という中学生男子にコテンパンに質問でやり込められたことがあり まだ幼い中学生に保護者のように教えてあげようと思っていた私だったので大変狼狽したのです。
大体、常ではないちょっとした出来事というのはこちらがABCとあらゆる予測されることを想像して身構えていても πやら√などの想像外の人や出来事が起こるので どえらくふんぞり返った先生や竹刀を持ってバンバンやってどなり散らす先生、とんでもない不良だったり、煙草をくわえた荒くれ者だったりが凶器と毒薬だらけの教室で何をやらかすのだろうかと私は震えていたのでした。。。。
でもまたしてもθな出来事でした。
もはや学校の先生がとても若くていいお兄さんに見えるのであります。爽やかでとても学生さんに慕われているのが分かりました。学生さんよりも先生が夢中に制作されていて、そんな先生の姿に学生達も休憩なしの暴れ無しで和やかに3時間で銅版で打ち出しをし、ストラップにして帰られました。
積極的に質問してくる学生や、眠い・・・といいつつ黙々と打ち出しをする学生さん、にこにこして赤ちゃんの時からきっと顔が変わっていないんだろうなあという学生さん、皆さん素直で朗らかな感じでした。進路について尋ねたところ、各々がビジョンを持っていてそれはこのたびの物づくりとは余り関係が無かったけれど、金属というものに触れたこと、ストラップにしたこと が社会に出てから何かの拍子でふっと思い出されるのであればそれだけでも嬉しく思います。3時間は長いようであっという間に過ぎたようで、こういうことが好きだと言って帰った男の子が2名いました。
引率のA先生、H先生、ありがとうございました。
今度は是非、木目金に挑戦しにいらしてください!
夏になるとこのお菓子を頂いた事を思い出す。その中にあった説明書を読んで初めて回天というものを知った始末。戦争は遠い昔の事じゃない、のに私は戦争を知らない世代で、子供達も知らない。
戦争反対の署名を生徒さんに頼まれて私は家族全員の名前を書いた。信じられないけれど、その生徒さんの知り合いにはお国の為なら憲法を変えるべきだという女親がいるそうだ。馬鹿かと言いたい。こんな大事な可愛い子の命を取られてたまるか!それに人が人を殺すなんてこんな馬鹿げて無意味なことはない。
娘をあやすとき どうしてか回天ごっこをしてしまう。娘は声を立てて大喜びする。いつか死や、戦争の事をきちんと伝えなくてはいけないと思う。
最初は回天というお菓子を頂いた時、なんてセンスが無くてまるで嫌がらせみたいだと思ったけど こうして伝えていくことが大事なのだと思った。私達夫婦が死んで居なくなったら一人ぼっちかもしれない娘、命は大切に、命あるもの全て大切に 育ってほしい。
もうすぐ母の命日。そしてお盆が来る。どんなに年月が経っても金属で作られたものが残って伝えられていくことに私はとても魅力を感じる。
育児で更新が遅れがちです。先週の金曜日の夜は新しく入られた長身の男性と、美人揃いのOL達 そして春田先生とでお菓子を持ち寄ってワイワイスタートしました。
YO YO!お茶じゃんYO!器が可愛いねー
しかも中国茶かな YO!作法があるみたいだYO!
さすが4000年の歴史は作法も意味深 ピョン。
美しい手に見とれて意味不明の画像だNE!
ラップ風に記事を書いてみました。
正確には中国じゃなくて台湾だそうです。不思議なお茶の煎れ方で、この晩は最高級と書かれたウーロン茶をご馳走になりました。素晴らしく良い香りで何度も何度も煎れて飲んでは大興奮の私。
たった一服の美味しいお茶の為に、先祖代々伝えられてきた太刀を手放すところから始まる三国志の物語を彷彿とさせるような、高貴な香りとお味でした。私1人がかなり大フィーバーしていて脳みそ爆発状態。
そこへまた面白い事に、雨の中入ってきた若い女性が 国宝となった太刀を作りたい と教室へ入ってこられてそのまま入会されて去って行かれました。
なんか感動。の、田村尚子でした。
新しくお見えになる生徒さん、宜しくお願い致します!
春田先生です。
桂先生のカエルの金具です。制作にあたってあまがえるを3匹ネットで購入されていました。季節外れだとかで、1ぴきおまけだったと記憶しています。
小さな水槽に水苔を入れて、あまがえるを飼ってずーっと観察してスケッチされていました。蛙の餌がこおろぎの赤ちゃんで、その赤ちゃんも週数によって大きさも違えば値段も違っていて弟子の私は買いに行きました。師匠はかえるをずーっと凝視していましたが、かえるはかえるで コオロギの赤ちゃんを凝視、コオロギは見つめられているのが分かると途端に固まって気配を消しており それをまた私がじーっと眺めている そんな思い出があります。
自然のものが金属となる場合、本物そっくりには作らないそうなのです。たとえばネズミの彫刻だと、尻尾を本物に似せるとお土産ものになるそうです。
この蛙もどこかそんな工夫があるようです。
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