日本の侘び寂びって言われると なんとなく ふーむ となりきるような私ですが、貧乏くさいのと紙一重と思ってしまう私はいけませんか。古代の日本は結構派手で華美好きだったのですよ。それもそう、生活は苦しくて否が応でも侘び寂びの色彩に取り囲まれた毎日に、赤や金、銀、光るものといった色彩が目に飛び込むだけで とても刺激的だったろうなあと思います。
さて、水銀中毒の続きです。
この金鍍金は古代から行われていたと書きましたが、我が国で生産された銅鐸には既に施されておりました。なぜわざわざ、我が国で と書いたのは、銅鏡や銅矛、の金属類は古墳時代は輸入品でありました。それが弥生の頃には技術も伝わることなり、中国の銅鏡の意匠をそっくり真似た日本の銅鏡は 漢字が見よう見まねで面白いのです。外人が書いたような漢字です。今は反対に日本のアニメを中国が真似しているから可笑しいですね。
苦労して制作した割には何の意味があるのかわからない銅鐸にさえ金鍍金を施すのにも驚きますが、あの巨大な奈良の大仏も全身、金ぴかだったのです。火災に遭い、今は黒っぽいですけれど、火災の熱でその皮膚の下は金がいっぱい沈み込んでいます。
金鍍金には水銀を使うと書きました。
推定ですが、水銀は50トン使用されたそうです、私が驚くのはどうやって加熱して水銀を飛ばしたかということ。大仏は大きいので加熱しても加熱しても水銀が飛ぶ温度に達するには火力も時間も必要です。それに、塗った後は金色を呈するまでこすって伸ばさなくてはいけません。
当然、顔面近くで作業した人々や風下にある人々を水銀が襲い掛かったはずです。
その作業に当たったのは罪人だったのではないかという説もあったようですが 私は違うと思います。
高い知識、識字力と経験が無いと出来ませんから。
これまでは 大気中でケシをするのは今までは問題なかった大きさだったでしょう。しかしながら大仏は大きすぎて 様々な症状を人々にもたらし、結局「祟り」とされて 平安京から長岡京に遷都となったようです。でもこの説が出始めたのはたったの50年前です。それも唖然です・・・。
当時水銀に携わった知識人たちはあまり長生き出来なかったでしょう。現代使用されるのは無機水銀ですが当時は有機水銀の為厄介なのです。中毒症状が出るのは親もそうだし、子供も同じです。イタイイタイと身を掻き毟りながら亡くなられた事でしょう。大気中の水銀よりも、地中や水中にもぐりこんで 作物や魚、動物の肉から水銀を摂取する事が大きな被害だったと思われます。
土中の水銀量をいまさら測っても意味がありません。水銀の比重は大変高いからです。
水銀は遺伝子には関係しませんが、放射能は遺伝子を破壊し、半減期は長いです。
その昔、人々は都を新しく移しましたが これからの人達は星を移すでしょうね、
地球はステレオ型の人間や拝金主義の人間が住んでいればいいのではないですかね。
ではまた。
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