手柄じゃ。 田村さん。高岡御車山での発見
高岡市に伝わる山車(だし)は、御車山(みくるまやま)と特別に呼ばれています。そう言われればそうだなあと ちょっと驚きました。高岡っこも知らない由来を書きましょう。
天皇を聚楽第まで載せた車を、時の豊臣秀吉が拝領して 加賀百万石の殿様 前田利家が譲り受け、それをまた息子である高岡城主 前田利長へプレゼントされて町人に与えたところから始まるそうです。
現代では7基あり、高岡マンテンホテルの裏辺りにある蔵にしまわれています。この日は小舟町の蔵を開けて頂きました。チョーお宝経験です。
土塀の蔵です。日陰になっていて涼しそう。
御車山の上の方についていて、ホント傍に寄らないと分からない部分に こんな贅をこらした金具がとりつけられています。桂師匠は 打ち出しに 被せ金に 各種象嵌に と感嘆されていました。時代は御車山が作られた400年前ではなく、200年前のものだとかでその間、修復は一切ないものの、一部欠損しているものもありました。
この打ち出し金具は沢山沢山、色々なものがあり、撮影もさせて頂きましたが この一枚のみ掲載させていただきます。お祭りの前に近くで見られるように飾られるそうですから、高岡っ子は是非行ってね。お酒もあるらしい。
これ、私には金ケシに見えたんです。で、恐る恐る高岡の鳥田さんに き き き 金ケシに見えるんですけど・・・と聞くと、和黄銅じゃなかとのお答えで、え・・・和黄銅ならば下から赤が見えないと思うのですが・・・と チョイ意見してしまいました。
あ 金ケシだ
ということで、ずーっと真鍮だと思われていたこの金具部分は 金ケシだと分かり一同どよめき、管理をされている方は大喜びされました。
手柄じゃ と言われてちょっとは高岡に貢献出来て嬉しかったと同時に、高岡でもケシやってたんだ・・・・と驚きました。かなりの量のケシだから、相当量金も水銀も使っています。この頃、ウチの先祖は何をやってたのだろう。。。(同じ土地で13代目前まで遡れます)
この日はホント、暑かったのですよ・・・大仏さまも燃えそうでした。
もともと、高岡大仏は木彫でした(大きい)
火災に遭い、頭部だけが残ったそうです。(こわー)
手を合わせるヤギ。
そんなヤギを見守る仏たち。
木彫の高岡大仏の代わりに作られたのが 日本三大大仏と呼ばれる 高岡大仏です。どこかで順位がひっくり返ったのか、全然駅前の地図に載っていない高岡大仏。ひどい扱いだ。
ここは藤子藤夫の暗い方が青春時代を送った所で、自伝となる漫画にも高岡大仏が出てきます。ここで片思いの女子高生が知らない男と夜に抱擁していてショックだったとかで、その後女の子は自殺をしました。あの暗さはそこから来ているのかもしらん。
悪い事をした子は地獄へ落ちるのじゃ~ と、散々 ヤギを脅した後は お寿司を食べて一同ご機嫌でした。桂師匠も、吉田先生も 魚もお酒も大嫌いなので 私達しもべだけでの食事でした。
桂盛仁先生は10月8日 9日 10日と高岡入りされます。8日に高岡駅に到着されるや否や、13時から講演会です。詳細は後ほど。
次は大仏内旅館に泊まられて下さい!

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