旅行・地域

2021年10月22日 (金)

結城秀康と結城紬と

桂彫金塾と石田ひとし先生の彫り留め講座を受講されている生徒さんが 結城紬を広める実行委員に選ばれたそうで、イベントのパンフレットをお持ちくださいました。

 桂盛仁先生が結城紬と言えば薄幸の結城秀康だというお話から、生徒さんとの間で少し歴史の勉強となりました。

 結城秀康は、徳川家康の実子です。しかし正妻に仕える女中から生まれたために、正室が苛めるために城を去って秀康を生みました。しかし、正妻の嫉妬を恐れてか実の父親がなかなか会おうとしないのを 正妻の16歳離れた息子がお目通りを叶えたそうでそれが3歳だったそうです。

 実子のいない豊臣秀吉の養子にされ、それを人質だと思った城内の者たちからは馬鹿にされるのを 自分は徳川家康の実子であると威厳を示し、実際は秀吉には大変可愛がられたようで秀吉の秀、家康の康、を取り秀康と名前が改められたものの 秀吉に実子が生まれると途端に疎まれて城を追い出される身になりました。

 結城紬を護ろうとしたのが秀康が始まりで、秀康は病を得て若くして福井の地に没しております。大変頭のいい人だと伝えられもいますが、徳川家康の実子でありながら不遇の人生であることを世間はよくわかっていたのではないでしょうか、調べると人望が大変厚く人気があったのが伺えて 秀吉や家康には警戒するべき人物に移ったように思われます。

 

 さて 結城紬は元々のおこりは麻で室町時代から織られていたようです。それが絹糸になり、軽くてあたたかい着物として現代に受け継がれています。コロナ禍で海外には行けなくても日本にはたくさん、面白い所がありますよね。この結城紬のイベントは今年で13回目。

 着物の着付け、着物を着て歩く結城の街、ボランティアガイドさん、朝市、たくさんの楽しいイベントが開催されるので 結城紬って何?という方も楽しまれては如何でしょうか。

 

  第13回きものday結城 お出かけくださいませ。結城市が何処かわからな??茨木県の県西にある結城市ですよ。

 

 

2019年1月 9日 (水)

たらい舟

 昨年に続いて岐阜県は大垣市でのたらい舟のお話です。

 お仕事とはいえ都内を離れると旅の気分です。旅先での地元の職員さんとの交流も本当に楽しみなものです。10月頃の大垣市は日中は暖かいのですが3時を過ぎる頃は急に空気が冷たくなり夜になるととても歩いていられませんでした。どこも飲食店は満員でコンビニエンスストアがありがたかったですね。

 自由時間のハイライトは なんと たらい舟。

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 大垣城は今はお濠しか残っておらず、お濠の周りは湧き水がこんこんと湧き出ています。透明なので水底が見えるんですよ。そこをたらいに乗って一周しながら船頭さんとの会話を楽しみました。

 たらい舟そのものは大垣市では歴史は浅いのですが そもそもは、徳川家康が大垣城を押さえたとき、城の責任者が若い頃の家康のお習字の先生だったそうです。その為、家康は逃げるようにと手紙を送るのですが、それは出来ないけれど娘だけは逃してほしいとたらいに乗せて城から出したことがあり、現代になって佐渡島からたらいを取り寄せてお濠巡りをしているのだそうです。

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 次々とお客様を乗せたたらい舟が。。。

 私達の前方には体重100キロはあるかと思うような大柄の男性と、極端に小柄な女性が乗っていて たらい舟は大きく傾いで、時に回るんです。くるくると。前になんて進まない。(そのたらい舟は沈みそうでしたが)なるほど、たらい回しとはこのことかと感心したのでした。

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 町はいたるところこうして湧き水があふれており、飲むことが出来ます。豊富なので洗いものをしている姿も見られました。東京の身も心も汚染された私どもにとっては飲み水でお風呂を沸かしたりお皿を洗うなんて本当にもったいないことです。

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 子供たちは変に こまっしゃくれてなくて、泣くときはもう物凄い顔で真剣に泣いているんですよ、東京みたいに人目を気にすることも無く思う存分泣くことが出来て良いなあなんて見ていました。

 かと思えば道の真ん中で U.S.Aを踊りまくる男の子。自由です。

 この後のお酒を交えた懇親会は午前様だったそうで 私は一人、奥の細道が荒川区のすぐ隣の北千住から始まりこの大垣が終点だったことに思いを馳せていました。一度しかない人生を歌を詠み、足の痛みに耐え、旅の先々での人情や料理、風習の違いなどを楽しむって ちょっと憧れますね。

 大垣市は月1で芸能人を呼んでのイベントもあり一所懸命市役所の方々が頑張っておられます。私達の時は美川憲一さんでした。トークが面白かったですね。

 大垣市 是非みなさんも一度は訪れられてください。

 

 

 



2018年2月25日 (日)

豪雪だった金沢

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 大雪でニュースが一色だった頃の事でございます。
 中止の連絡があるかと思っておりましたが金沢駅に着くころに連絡くださいとのことで、始発に近い新幹線で金沢へ向かいました。卯辰山工房へ指導でございました。
 北陸新幹線は丈夫に出来ていたので遅延もありませんでしたが在来線は遅延、福井~金沢は不通が10日間は続いたのではないでしょうか。
 金沢の人達は連日の大雪で心が少し荒んでおられまして、道を譲っても無表情。市民総出の雪透かしタイムは2時間、それに出た出ないで言い争い。ガソリン灯油は制限され、牛乳納豆はしばらくお店に並んでない そんな状況でしたが漁だけは漁師が意地で出られていたそうで美味しい寒ブリにはありつけることが出来ました。
 除雪車は24時間フル活動で一人、過労死で亡くなられた方がいらっしゃいました。この除雪車に掛かる費用が年間一人1万円と少し、市民の方は負担されているそうです。
 画像は高岡の実家の庭の様子です。
 買い物に出るに出られず 晴れ間を見て車を出して大慌てで出かけても、帰りは横殴りの雪でした。
 東京がとても暖かくて春の気配さえ感じました。
 慣れたせいか東京は 戻ってきた という感覚でした。あの雪は何だったのだろうと思う程別世界でした。
 
 あと1か月もすると桜の便りが聞こえますね。
 

2017年6月18日 (日)

四川省成都

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 一週間、四川省成都で働いておりました。
 お茶館などでの作品解説や議論が2日間あり、それぞれ2時間喋りっぱなし状態でなかなかハードでしたが 成都の伝統工芸が遺産と呼ばれるように化石のような存在になってきていること、人間国宝のものは庶民には手が出せず、無名の人は販売につながらなくて苦しんでいること、技術は高くともデザインが古いままなのはどうか、等々議論しあいました。
 男尊女卑が日本にあると聞きますがどうですか?の質問には あります と答えました。
 女性が男性より抜きんでて才能があったりお金を稼ぐと男性の嫉妬や僻みはあからさまで足を引っ張ったり嫌味を言ったりが度々ありますが、成都の女性は成功した実業家が多く 核家族では無いので子供の面倒は祖父祖母が見てくれるそうです。
 実際、この5つ星ホテルのオーナーも、若い女性でした。ビルも数軒持ち経営する女性も多かったです。
 日本の女性は成都の女性のように強くならないといけないですね、と皆で笑いました。
 時々、いくら稼いでいるの?と失礼な質問をしてくる男性がいるのを そうでもないんですよ、とその男性にがっかりしてしょんぼり答えておりましたが 成都帰りの私は ぼちぼちですわ と答えることにします。成都は大阪に似ています。でも本当にぼちぼちです。私は敢えて手間のかかるものを作り続けようとスタッフに話しています。
 
 
 中国には色々な諺があります。
 エリートが多く住む北京では 自分の愚かさを知り
 〇〇島では 自分の体の小ささを知り
 成都では 自分が早く結婚したことを後悔する
 などと言われます。成都は本当に美しい人が多かったですよ。一緒に行ったボランティアの若い男性と一緒に歩くと あの子美人 あのうなじが! あの足首、あのくびれ!と違う所ばかり見るので面白かったです。中国語が話せるので成都女性に大人気。毎日貢物がありました。
 今回は私の家族も一緒に成都に行きました。
 日暮里駅から成田に行き直行便で成都だったのでどこでもドアで行ったような感覚でした。
 交通費も往復で3万円もしないので 実家の高岡に新幹線で帰るのとあまり変わらないのはちょっと納得がいかないのでした。
 
 
 

2017年2月 7日 (火)

ザ・ウィンザーホテル洞爺

彫金の体験をホテル内のご宿泊のお客様に、と 蒔絵師と江戸版画師、スタッフとで北海道へ飛びました。行きも帰りも雪が無かったので飛行機は快適でしたが一歩外に出ると命の危険を感じるほどの空気の冷たさでした。
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 ホテルのロビーは広く、日中はハープやピアノの生演奏が静かに流れています。
 
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 お琴の生演奏もありました。仕事の時間が近づいていたのですが「春の海」を聴き終えるまでは、と楽しんでしまいました。戻った私に 広いホテルで迷子になったのではとスタッフと江戸版画師が笑っておりました。ごめん、実は遊んでました。
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 ホテルには大きな露天風呂があり、そこからの撮影は禁止だったのですが脱衣所から同じ景色が見えます。このような眺めを楽しみながら熱いお風呂に入れます。ただ行くまでの距離が短いとは言っても手すりは凍っているし足元も雪!
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 ホテル内のチャペルです。ここはホテル内でも穴場で長い廊下を渡った先にあり、暖房も利いていて一人静かに過ごせるところでした。
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最終日だけホテルのレストランでコースを頼みました。独りぼっちでしたが1時間以上は過ごすことが出来て充分くつろぐことが出来ました。このデザートを見ながら この後に続く金沢卯辰山工房での課題を、このデザートの打ち出しにしようかと本気で考えておりました。
 バニラアイスは銀、ブルーベリーは赤銅、ラズベリーは火銅、イチゴの種はK18イエローなどと。でも2日間では無理と判断して遠慮なく頂いてしまいました。
 さて我々が宿泊したホテルは ザ・ウィンザーホテル洞爺 です。(ホテル内の様子が分かります)サミットルーム(各大統領が泊まったホテル)やレストランにも入れます。絶景も楽しめます。探してみてください。
 
 体験の指導をしながらお客様と様々な話をしました。
 年に一度は必ず家族で泊まりに来るといわれるお客様も多く 家に帰ってくるような感じなのだそうです。日々仕事に忙殺されている方は遠い北海道では仕事のことを考えなくても良いし何しろ白銀の世界、春もまた緑が豊かでしょうし心が静まります。(携帯電話はどこに行っても追いかけてきますが)
 
 室内にある紅茶の美味しさに絶句して 江戸版画師に驚いて話したら
「あの、全部美味しいです」
 との答えに笑ってしまいました。
 
 室内にある珈琲紅茶もこだわりぬいたもので それを頂く為の蓋つきの器は国内でただ一つしか生産していないボーンチャイナだそうです。ランクを落とそうと思えば幾らでも落とせるけども最高のものをお出ししたいと思っている と話されていたホテルマンの言葉に痛く感動してこの言葉を忘れないようにと同じ器を求めました。
 あまり紹介してしまうとせっかくの楽しみが無くなりますのでご紹介はここまでに致します。
 
 お招きいただいたウィンザーホテル洞爺様と楽しんで頂きましたお客様に感謝致します。良い年初めでした。
 旅のご予約はこちらをご参考にされてください。
 
 

2016年7月20日 (水)

ウィーンの旅2

 ウィーンの旅はもうひと話、食べ物のお話です。

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 ウィーンのドナウシュタット区と、荒川区は姉妹都市になって20年。その記念式典に参加して参りました。ウィーンは音楽の都。オープニングも生演奏でしたし、市長や議員のお話の合間にまだ10代の才能ある方達がピアノやチェロなどで優雅な演奏を披露して下さいました。

 私はお酒はきりっと冷えた白のワインが好きです。

 オーストリアワインは白が名産。北海道と変わらない緯度にあるオーストリアは涼しく、その気候を表した様なさっぱりとすっきりとしたワインで、ドイツワインのような甘さが無いです。日本でオーストリアワインを見ないのはとても残念で、ある程度売り上げを上げてもほとんど税金で持っていかれるから日本では売らないと聞きました。オーストリアの税率は20%。でも日常生活でその恩恵を実感できます。20%でも飲食は安いのでちょっと驚きます。日本なら高級な生ハムもごっそり入れたパンが日本円で100円程度。

 オーストリアワインは川島なお美さんのご主人さまのレストランで楽しめるそうです。

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 ウィーンといえばウィナーシュニッツェル。奥がハーフサイズのシュニッツェル(薄く伸ばしたカツレツ)、手前が名前は忘れましたが牛肉の煮込みのようなものでした。

 特にこのお店は地元っ子にも有名なところで運よく空いている時に入れました。写真でこのボリュームはお分かり頂けるでしょうか。

 サラダで青菜が出てきたのは初日の夕食以来初めてで最後でした。日本では見ない、貝割れ大根の巨大なようなものでした。画像では分かりづらいですがかぼちゃの種のオイルが掛かっています。もしウィーンに行かれることがありましたらこのカボチャのオイルシードはお勧めです。サラダに掛けると香ばしい香りが広がります。

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こちらはデメル本店。

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 修行も兼ねたデメルの職人さんでしょうか。きびきびと働いていてこのお店で働いている誇りを感じました。店内はうっとりする位のチョコレートの香りが一杯でした。

 デメルではエリザベート后が愛でたというすみれの花の砂糖漬けも販売されていました。物価が安いオーストリアでもこのすみれの花のお菓子は高額でした。

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 場所は変わってウィーンの森です。がたごと車に乗ってYさんと大笑いしながらホイリゲ(居酒屋)へ。といってもここは青空ホイリゲ。酵母の匂いが強く残る新酒やスパークリングのロゼなど頂いて、気分よく葡萄畑が低く広がるウィーンの森をハイキングしました。ウィーンの女性は非常に美しいのですが男子は普通。ここで信じがたい美少年を見てしまいました。チロル地方に近いところでは人間とは思えない程の美男子が多いそうです。そう言いながらも顔は二の次、人はハートが大事です。多くの海外の方が住むので顔立ち体つきは様々です。日本で自分は美人だと威張っていても余り通用しないかも。

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 チロルを意識したホイリゲ。ウィーンの森には様々なホイリゲがあります。この明るさだと昼間の様に思えますが実は夜の8時頃なんです。生まれて初めて経験するサマータイム、ホテルに着いたのが夜の10時。慌てて帰りました。日本時間は朝の5時というところでしょうか。

 

 

2016年7月19日 (火)

ウィーンの旅

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 だいぶ日にちが経ってしまいましたがウィーンへ展示と体験をしに行って参りました。

 テロの警戒で検査は厳しく、靴にまで検査の機械が反応するほど。(多分、金属の粉でもまぎれていたのだと思います。)税関は更に厳しく、書類にちょっと横線を引いただけで目くじらを立ててこの書類じゃ通らないなどのすったもんだで危うく飛行機に乗り遅れるところでした。

 この税関だけなら本当にもうこりごりで、行きの荷物の数と帰りの数が合っていないと販売とみなされて大きく課税されるようです。ヨーロッパで販売するのが難しい理由の一つかと思います。なので今回は販売は一切禁止でした。

 

 長い飛行時間・・・そして時差は7時間。日本の方が早く進んでいます。この時差ぼけは最終日まで直らなかったです。ヨーロッパは古いものを大切にするので私達が泊まったホテルは200年の歴史があり、今の様にどの部屋も同じ広さでは無く部屋の大きさはまちまちで なぜか私が宿泊した部屋は広いキッチンがありました。長旅だったのでとってもほっとしました。お風呂も大きくて素敵でした。

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 日本時間にすると午前3時か4時位に、フルコースの夕食でした。まず前菜がメインディッシュかと思う様なボリューム。。。でもこんなことで驚いてはいけないのを今後まざまざと実感させられるほどに、ウィーンの方達は大食漢だったのでした。そして生野菜にはほとんど巡り合うことが無く、温野菜と大量の肉、豊富な乳製品。魚類はあってサーモンか、マリネにした青魚しかありませんでした。この時期はホワイトアスパラガスが有名らしいのですが一度も見なかったです。

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 朝食はビュッフェスタイルです。日本では高額で存分に食べられないチーズもこのように好きなだけ取ることが出来ます。

 そして乳製品が非常に美味しいのです。この前イギリスから来たウェインは 日本の牛乳は不味いと口にしませんでしたがヨーロッパの牛乳は濃いです。とても涼しい国なので牛が元気なのでしょう。牛は涼しいと良い乳が採れるそうです。

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 パンの種類も大変豊富です。これは駅の地下で撮影したもの。ウィーンでは年額日本円にして3万円程出せば、全ての路面電車 バスが乗り放題です。特に検札もなく、路面もバスも地下鉄も網目のように広がっていて何処へ行くのも便利です。日本で見る様なルンペンは一人も見ませんでしたが、ホームではひざまづいて手を組み合わせてじっと祈っている女性がいました。カトリックの強い国なので、お金持ちが困った人を援助するというのが当たり前になっているからお金を恵んでいる人達も自然な感じで居ました。

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 ウィーン市内にはザッハトルテとデメルの本店がそれぞれあります。どっちが本家かと裁判になってザッハが勝利したそうですが日本ではデメルの方が認知度が高い気がしますよね。チョコレートの下か、スポンジの間にあんずのジャムが入るという違いだけのようなのですが・・・

 

 一緒に来て通訳をして下さった生徒さんのYさんは、ウィーンに長く住んでいらっしゃいます。ザッハとデメルの食べ比べをしましょうと言われて嬉々としてついていったものの・・・巨大なザッハトルテ、甘いっていう言葉が甘っちょろいほどにガンガンくる甘さ。隣にあるボリュームたっぷりの生クリーム(物凄く美味しい)が無いと苦しいほどに甘いんです。そのあとにデメルに行き 食べましょうと誘われましたが この私が身の危険を感じ辞退することになりました。

 ウィーン食べ物編はこのあとも続きます。

 ウィーンは緑が多いけれど生野菜を食べる習慣が無いのだと思います。多いのが糖尿病だそう。でも医療費が全て無料なのとその他福利厚生が手厚いので皆さんのんびりとしていらっしゃいました。住みやすいので外国人が多く生粋のウィーンっ子は半分もいないのじゃないかと思います。肥満の方が多く、ご高齢の方を日本ほど見掛けなかったです。でも食べ物が安く、ワインも豊富でスィーツ大好きな国ですからこの誘惑に勝つのは非常に難しいと思われます。

 

 

 

 

2016年4月 1日 (金)

バルセロナに行くなら 〜美術系の方向き〜

金曜日の夜の先生が新婚旅行で、バルセロナのサグラダファミリアだけを見に行かれるとのこと、たまたまその滞在中にバルセロナにお仕事がある生徒さんから美術や工芸の方向けに情報を丁寧なくださいましたのでご紹介します。

《オススメ建造物》
これらは絶対にガイドブックに載っているので、住所は省きます。

A1. Sagrada Familia サグラダファミリア
A2. Parque Guell グエル公園
A3. Hospital Sant Pauサンパウ病院

B1. Casa Ballo カサ・バトリョ
B2. Casa Mira カサ・ミラ(現地人はラ・ペドレラと呼びます)

C1. Colonia Guell コロニアグエル(郊外)
小さな町なので、雰囲気が変わり散策にも良いです。

《時間があれば》
D. Escuela Massana エスクエラ・マッサーナ
サン・ジョセップ市場の脇。
ここは現在美術学校で、旧サンパウ病院です。つまりガウディが亡くなったのはこの建物内。中庭にアーチ状の外廊下や図書館、カフェもあり自由に入ることができます。
住所: Hospital, 56
8時〜21時くらい
http://www.escolamassana.es/ca/page.asp?id=1


D. Mercado Sant Josep サン・ジョセップ市場(現地人はLa Boqueria ラ・ボケリアと呼びます)
Escuela Massanaの直ぐ脇にあります。活気があって圧倒されます。
陳列の仕方が日本と違うので見てるだけて楽しい。ガイドブックに載ってます。
住所: Rambla, 91
月ー土 8:00-20:30
http://www.boqueria.info/index.php?lang=es

E. Barceloneta バルセロネータ(海)
地下鉄バルセロネータ駅からあるけます。
日中天気が良い日はやはり海の色が違います。時間があったら郊外まで行くほうが良いですが、バルセロネータでも十分景色は楽しめると思います。


《コンテンポラリー・ギャラリー》
F1. Klimt02  クリムト・セロドス
国際的に有名なコンテンポラリージュエリーギャラリー
今は日本人のKamata Jiroさんの作品展示のようですが、店内の引き出しに多くの別の作家の作品があるので言えば見せてもらえます。
住所: Riera de Sant Miquel 65
火曜〜金曜 11:00- 14:00 16:00-19:00
http://klimt02.net/galleries/klimt02-gallery-2014

F2. Amaranto Joyas アマラント・ホヤス
キャラリー兼工房です。若手を中心に日本では見られない作風が揃っています。
住所: Sant Domènec 23
月ー土曜 11:30-14:30 17:00-20:30
http://amarantojoies.blogspot.jp/

D1. Siesta シエスタ 
バルセロナ近代美術館近く。
店主のセレクトが日本人好み。オブジェクトもありますし、可愛い犬がいます。
移民が多い地区で、建物が入り組み雰囲気が少し違います。
住所: Ferlandina 18
火ー金 11:00-14:00 17:00-20:30
土曜11:00-14:00
http://siestabcn.blogspot.jp/

G. La Basilica Galeria  ラ・バシリカ・ガレリア
もうなんだか良くわからないヨーロッパの奇抜な作品が一堂に会しているので、見るには面白い。観光地にあるので買い物や散策ついでに寄れます。
住所: Sant Sever 7
月ー日11:00-20:30
http://labasilicagaleria.wix.com/labasilicagaleria



《老舗ジュエリー店》
セキュリティー上、空港の金属探知機みたいな扉を一人づつ通ってから扉が開きますが
難しいのはその点だけなので大丈夫です。

B. Bagues バゲ
カサ・バトリョの隣。
アールデコのジュエリー。店内も素敵です。
住所: Passeig de Gràcia, 41
営業時間わかりませんでしたが、日曜以外は空いてるはず。
http://www.bagues-masriera.com/

H. Union Suiza
2店舗ありますが、Diagonal通り482番が良い
ハイジュエリーとコンテンポラリーの融合ラインMISUI(ミスイ)があり、
日本でも活躍するMarc Monzó(マルク・モンソ)とのコラボなのでお勧めです。
住所: Diagonal,482
営業時間わかりませんでしたが、日曜以外は空いてるはず。
http://www.unionsuiza.com/en/homepage


情報を下さいました、Kさん ありがとうございます!
スリには必ずあうというアドバイスのお陰で、未遂だったそうです。スリは女だったそうです。


2015年9月26日 (土)

四川省 成都

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 四川省 成都に10日間、展示販売で行ってまいりました。成都は三国志の舞台、文化革命以前はこのような建物が立ち並ぶ美しき古都だったようですが今は面影のあるところは限られており、高層マンションが多かったです。現在は四川大地震の後の街で、広い中国 大地震の後の瓦礫は町を一つ潰してひとまとめにしたそう。
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 中国に行く前に散々言われて行くのが億劫にさえなっていましたが 実際訪れてみると人の笑顔が多く、女性はお洒落で美しい人が多かったです。食事は日本食が全く恋しくなく美味しくて、中国流のおもてなしはとにかく食べ物が出続けますので本当は痩せて帰るつもりがすっかり太ってしまいました。
 そして中国のテレビの番組はほとんどが日本との戦争もののドラマかニュース、バラエティはほとんど無くてとても真面目でした。世間体や面子を非常に大切にする国民性なので表向きは日本憎しですが、個人では大変友好的で親切でした。滞在中、関東での地震や洪水、安保のニュースが大きく取り上げられていて 安保の問題に関しては何故日本は若者が戦争に反対するのだろう?と不思議がられました。
 
 展示はとても人が多くて人ごみで窒息しそうでした。
 そして日本人の作るものは信頼が高くて日本ブースは連日人の山でした。
 外国人の私が見ていても中国は貧富の差が激しく、お金持ちは桁違いに大金持ち。でも多くの人は日本円の価値でモノが買えません。とても高くて手が出ない、でも欲しい・・・そんな人たちの中で 日頃地道に働いておられるような男性が 今度娘が結婚するからとネックレスを買われるときに とても高揚した様子で値切りもしないで(中国は値切りが当たり前)中国元を出しておられて お父さんはちょっと無理をして嫁いでいく娘に買われるのだと思うととても胸に響くものがありました。
 今中国に行かれる人は手土産は携帯用の小さなポットがとても喜ばれます。日本製のは軽くて保温性が高いそうですよ。
 展示の終わりのころには私は中国の方に対する気持ちが全く変わってしまいました。成都は特に人柄が穏やかでのんびりしているそうです。
 今は人と会うと挨拶は ニイハオ ですがちょっと前までは お腹すいてない?が挨拶だったそうです。中国に行く前にそれを聞いていたら なんて食いしん坊なんだろうと思ったけど、旅の終わりの私にはそれが 中国の優しさだとすぐに理解したのでした。
 
 

2012年9月12日 (水)

美しい日本

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 画像は妖精の生まれ故郷です。だから妖精と名付けたのかと言えば8パーセント位の果実味といったところでまったく無縁ではありません。ご本人様はコンビニも遠い実家に不満をおもちでありますが 都内の人間は反対に田舎に故郷があることや、方言があるのを羨ましく思うのであります。とはいえ田舎は情報が疎くて働き盛りにはちょっと物足りない一面はある。私は今緑いっぱいの埼玉からヒーヒー言いながら出勤していますがこの緑とお花のある生活からは離れがたいですね。都内は心が疲れました。


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 妖精は人間界に降り立って人間の恐ろしさを散々味わったようです。行った先が間違ってましたね!妖精の国は殆どが人間に悪さをするオソロシイ存在に対して、人間世界は割と善意で生きている人が多いですよ。妖精の2倍生きている私から贈る言葉は、個人に対して期待や憎しみを持つのではなくそれが世間だということを学ばなければなりません。しかしながら、純粋さや人を信頼すること、勉学にまい進する志を忘れてはいけないです。間違っていることに対して理性を持って制する勇気も。


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 不便には違いないけれど かつて全国美しかった日本の一片を残している そんな所で生まれて育ったことに感謝ですね。この仕事を志す者はちょっと間違えるとアフターファイブにお酒タバコ女性パチンコしか考えていない人達がワンサカいます。そんなことをするために故郷を後にしたわけではないはず。常に志だけは忘れずに、清らかな心でお仕事をしましょう。
 
 一見寡黙ですが工房内では物凄く集中して制作しておりますので、そっとしてあげてください。
 話すと面白いんですけどね!綺麗な気持ちや感動する心を忘れないでください。私の願いです。

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